それでは、ルカによる福音書20章20-26節の文化的背景を説明し、テキストを丁寧に解説します。
1. 文化的・歴史的背景
この出来事を理解するためには、当時のユダヤが置かれていた複雑な状況を把握することが不可欠です。
ローマによる支配と税金問題:
紀元前63年以降、ユダヤはローマの支配下にありました。イエスの時代、ユダヤはローマ帝国の属州であり、ローマ総督(この時期はポンティウス・ピラト)による直接統治が行われていました。ローマは属州の住民に対して様々な税を課しており、その中でも「人頭税(または土地税)」は、ユダヤ人にとって大きな経済的負担であると同時に、異教徒であるローマ皇帝への服従を象徴するものでした。多くのユダヤ人にとって、この税を納めることは、神から与えられた聖なる土地が異邦人に支配されているという屈辱的な現実を突きつけられる行為であり、強い反感を抱いていました。特に、貨幣に皇帝の肖像(「像」)と神格化を示す称号(「銘」)が刻まれていることは、偶像崇拝を禁じるユダヤの教えに抵触すると考える人々もいました。
ユダヤの宗教的・政治的状況:
当時のユダヤ社会では、様々な宗教的・政治的グループが存在し、ローマ支配に対する態度も一様ではありませんでした。
イエスと宗教指導者たちの対立:
イエスはガリラヤでの活動の後、エルサレムに入城し、神殿で教え始めていました(ルカ19:45以降)。その教えと権威は、既成の宗教指導者たち(祭司長、律法学者、長老たちで構成されるサンヘドリン)にとって大きな脅威と映りました。彼らはイエスの人気を妬み、また、イエスの言動がローマ当局を刺激し、自分たちの地位や民衆の安全を危うくすることを恐れていました。そのため、彼らはイエスを陥れ、その影響力を削ぐ機会をうかがっていました(ルカ19:47-48、20:19)。
2. テキストの丁寧な解説
この文化的背景を踏まえて、一節ずつ丁寧に見ていきましょう。
20節: 機会をうかがい、偽善的なスパイを派遣する
Καὶ παρατηρήσαντες ἀπέστειλαν ἐνκαθέτους ὑποκρινομένους ἑαυτοὺς δικαίους εἶναι, ἵνα ἐπιλάβωνται αὐτοῦ λόγου, ὥστε παραδοῦναι αὐτὸν τῇ ἀρχῇ καὶ τῇ ἐξουσίᾳ τοῦ ἡγεμόνος.
1(そして、彼らは機会をうかがって、自分たちが正しい者であるかのように装うスパイたちを遣わした。それは、彼の言葉じりを捕らえ、彼を総督の支配と権威に引き渡すためであった。)
「彼ら」とは、文脈から祭司長、律法学者、長老たちを指します。彼らはイエスを直接攻撃することをためらい(民衆を恐れていたため、ルカ20:19)、策略を用います。
21節: スパイたちの偽善的な賞賛と質問の導入
καὶ ἐπηρώτησαν αὐτὸν λέγοντες· Διδάσκαλε, οἴδαμεν ὅτι ὀρθῶς λέγεις καὶ διδάσκεις καὶ οὐ λαμβάνεις πρόσωπον, ἀλλ’ ἐπ’ ἀληθείας τὴν ὁδὸν τοῦ Θεοῦ διδάσκεις·
(そして彼らは彼に尋ねて言った、「先生、私たちは、あなたが正しく語りまた教えておられ、人を分け隔てせず、むしろ真理に基づいて神の道を教えておられることを知っています。」)
スパイたちは、イエスに敬意を払うかのように、巧みな言葉でお世辞を並べ立てます。
22節: 核心的な罠の質問
ἔξεστιν ἡμᾶς Καίσαρι φόρον δοῦναι ἢ οὔ;
(「私たちがカエサルに税を納めることは、許されているのでしょうか、それとも許されていないのでしょうか。」)
お世辞の後、彼らは本題の質問を投げかけます。この質問は非常に巧妙な罠でした。
23節: イエス、彼らの悪意を見抜く
κατανοήσας δὲ αὐτῶν τὴν πανουργίαν εἶπεν πρὸς αὐτούς·
(しかし、彼らの悪賢さを見抜いて、彼らに言われた。)
イエスは彼らの偽善的な言葉の裏にある悪意(πανουργία - panourgia、狡猾さ、策略)を即座に見抜きます。ルカはここでイエスの洞察力の鋭さを示しています。
24節: デナリオン銀貨の提示要求と「像と銘」の確認
Δείξατέ μοι δηνάριον· τίνος ἔχει εἰκόνα καὶ ἐπιγραφήν; οἱ δὲ εἶπαν· Καίσαρος.
(「デナリオン銀貨を私に見せなさい。それには誰の像と銘があるか。」彼らが「カエサルのです」と言うと、)
イエスは抽象的な議論に終始せず、具体的な物(デナリオン銀貨)を提示させます。
25節: イエスの有名な応答
ὁ δὲ εἶπεν πρὸς αὐτούς· Τοίνυν ἀπόδοτε τὰ Καίσαρος Καίσαρι καὶ τὰ τοῦ Θεοῦ τῷ Θεῷ.
(そこで彼は彼らに言われた、「それなら、カエサルのものはカエサルに、そして神のものは神に返しなさい。」)
これはイエスの非常に巧みで深遠な答えです。
26節: 敵対者たちの敗北と沈黙
Καὶ οὐκ ἴσχυσαν ἐπιλαβέσθαι τοῦ ῥήματος ἐναντίον τοῦ λαοῦ, καὶ θαυμάσαντες ἐπὶ τῇ ἀποκρίσει αὐτοῦ ἐσίγησαν.
(そして彼らは、民衆の前でその言葉じりを捕らえることができず、彼の答えに驚嘆して黙ってしまった。)
イエスの答えはあまりにも見事だったので、スパイたちは反論の言葉を見つけられませんでした。
3. このテキストの意義と教訓