たいへん興味深い比較です。ルカによる福音書20章1–8節のイエスと宗教指導者との問答──とくに、イエスが問いに対して問いで返し、相手の自己認識や内的誠実を試す姿勢は、東アジア仏教における「禅問答(公案)」との類似性を感じさせます。しかし、両者の目的・方法・前提となる世界観には重要な相違もあります。

以下に、共通点と相違点を5項目に分けて論じ、最終的に神学的・宗教哲学的な対話の可能性について考察します。

【1】形式:問答形式による「直接的でない」応答

類似点:

→ 問いに問いを重ねて、相手自身に“答え”を気づかせる構造は共通。

相違点:

【2】沈黙の役割:語らぬことの意味

類似点:

→ 沈黙が単なる回避ではなく、真理への態度を試す「鏡」として働いている。

相違点:

【3】主体の変容:悟り・悔い改め・信仰の目覚め